文/Karen
Wordpressで記事を書き始めて3年目に入った。当初ウェブサイトを立ち上げた時は、ただ心をぶつけようのない、言葉で個人の感情を吐き出したいニヒリストな女性に過ぎなかった。あの時は26歳だったことを覚えている。
↑記事を書き始めた当初の私は、こんな感じだった
26歳の時、あの当時の不安と無力感、世界への恨みを忘れることができない。いつも世界は自分に不公平だと思っていた。
それなのに、これらの言葉は人生の質的な変化をもたらした。
職場の変化、人生の展開、年齢という門を迎える際、これまで私は人々に個人の夢を追い求め、心の向くままに進むことを勧めてきた。多くの若き学生や不安に満ちた人々は、浮き木を見つけたかのように、心の拠り所を得たようで、勇気が湧いて、何でも願いは叶うかのような気がしていた。
数年が過ぎ、29歳で職場で転んだが、幸運なことに、挫折と自分に対する不満足から、自分がどのような人間かをさらに明確にし、現実と向き合った後、きちんと整頓することができた。
30歳の時、自分の挫折をもたらしたと思っていたキーパーソンと向き合い、約2年間自分に対して抱いていた悔しさを解き放った。それは優しく、心を開いた対話だった。あの瞬間だからこそ、自分の心と向き合うことを選択できたのだと思う。
今、私は他者から与えられた課題によって自分の不足を証明する必要がないこと、他者から与えられた挫折を通じて成長を感じる必要がないことに気づいている。
なぜなら、私は自分に何が足りないかを自覚しているからだ。
「思考の時間があってこそ、思考する能力がある」
最近は一人で過ごす時間が増えたことで、新しい人生の思考が始まった。
来月には31歳になるが、今と過去は何が違うのか?
違いは、自分たちの家庭と事業を持ち始めたこと、パートナーとチームを持つようになったこと、もう心に余裕を持てない余計なものを手放すことを学び、過去には理解する必要のなかった財務報告書、戦略計画、データ分析などを学んでいることだ。
これらが自分の人生を急速に前に進ませ、もう現実に息もできないほど圧迫されることがなくなるのだろうか?それは私にもわからない。
しかし、今初めて気づいたのは、子どもの頃思い描いていた大人はとても自由だと思っていたが、大人になった今、子どもたちの目には大人に見える自分さえも、大人になりたくないし、かつて自分が想像していたほど自由ではないということだ。
おそらく唯一の慰めは、少なくとも自分にはまだ問題を解決する能力があるということだろう。しかし、すべては時間が必要だ。
↑最近の私

