この社会はこのタイトルそのものであり、邪悪で制御不可能だが、このような環境下でも、大多数の人々は社会への理想、夢への幻想、世界への大きな抱負を持ち続けている。多くの苦しみに耐えれば必ず成功するだろうとか、ひたすら努力すれば会社が見てくれるだろう、黙って尽くせば相手は自分の想いを理解してくれるだろうと思いながら、静かに何も言わずにいると、つかむべき時に手を伸ばせず、機会は目の前で消えていく。後悔する頃になって次こそはと強くつかみたいと思っても、手に握っているあらゆる機会は、他者を踏みにじることで手に入れたものであることに気づくのだ。それが何であれ、事柄の大小を問わず、意識しているかどうかを問わず、信じてほしい。それらはすべて、他者が持つすべての上に乗っかることで、得られたものなのだ。

だから、この社会の価値観に適応し、あなたが欲しいものを獲得するためには、申し訳ないが、もう理想の中に生きるのはやめてほしい。ユートピアの中に生きるのもやめてほしい。時には、あなたは善良さを放棄しなければならない。ただし、時には善良さを選ぶこともできるが、その時は踏みにじられるのはあなた自身なのだ。

8月頃、私は両岸記者研修計画に参加した。そこには多くの大学生がいて、彼らはおそらく1年生や2年生で、社会に対して理想を抱いており、新聞記者は真実を追求する崇高な職業だと思っていた。正直なところ、彼らの言うことは間違っていない。ただ、真実を追求する過程では、正義感だけでは欲しい真実と回答を得ることはできないのだ。むしろ多くの場合、時間制限を設定し、相手に何時何分までに返答するよう求めなければならない。相手に何時何分までに必ず返答をもらう必要があることを伝え、そうしないと相手の主張を報道しないと脅しをかけなければならない。また、厳粛な口調で、いつ問題が解決するのかを尋ねなければならない。ただし、このような時間は約30分、1時間程度で、本当に短いのだ。

あなたはただの正義感で?それとも罰金を受けたくない、両論併記の形にしたくないという理由で、こうした回答を要求しているのか?確かに受け取材者には回答する義務があるかもしれない。しかしメディア運営の関係上(独占要求であれ、時間制限であれ)、被取材者の回答期限は、十分にデータを収集する時間まで圧縮されている。あなたはそれが彼ら側の問題だと思うかもしれないが、記者に課せられた制限は実はメディア自体に由来するものなのだ。今日、記者が回答を得られなければ、上司から追及される。だから記者は打ち手にされ、記者は仕方なくPRや企業に要求するしかない…そうしないとどうやって報告するのか?

他の仕事の例を挙げると、メーカー同士が協力する時、Aメーカーはあなたの原価を知らないので、市場価格を上回る金額をあなたのサービスに支払う。しかし、その中の仕事のいくつかはあなたが対応できず、下流メーカーに外注する。しかし、下流メーカーに支払う金額は、受け取った総額のわずか1%かもしれず、残りの利益はあなたが独占する。下流メーカーもまた、自分たちが受け取った価格が不当であることを知らない。聞こえは不公平だが、これがビジネスゲームであり、これが実際の運営方法なのだ。企業を経営するからには、もちろん利益を上げて生き残り続ける必要があり、従って一見すると合理的な状況の下で、相手のニーズを満たしながら、自分の利益を確保することが正しいのだ。あなたはそんなに利益を上げてるなら、わたしの分もちょっとくれないかと言いたいかもしれない。しかし、なぜ他人が無償で手伝う義務があるのか?自分がシステムを構築し、受動的収入を生み出す能力があるなら、自分で努力しろ。この世界には、誰もあなたを助ける義務を持つ者はいない。

何をしたいにせよ、出発点が善意であったとしても、この社会に融合する過程で、あなたはどんな決定をしたにせよ、自分をどう守ろうとしたにせよ、どうやって純真な雰囲気を維持しようとしたにせよ、必ず誰かが傷つくということを忘れてはいけない。しかし、より良くなるために、あなたは止まることはできない。引き起こした傷を見つめながら、あなたはそれを手放して前に進み、自分が同じ轍を踏まないようにより良い方法を探さなければならない。この過程を通じて、あなたは必然的により自分自身を理解するようになり、ただ他人に合わせるだけではなく、迷い困惑する無知な人間になることもない。あなたは何度も何度も放棄し、何度も何度も選別することを通じて、自分自身をより良い人へと磨き上げるのだ。